7、8歳の子どものように「なんで?なんで?なんで?」
↑ ミラノ生まれミラノ育ちの方がいつもランチを作ってくださってます。
上の写真はカルボナーラのチーズ。同じの作ってみようかな。。
今日感じたことが1つ。
「誰かといっしょに何か
素晴しいものを作り出したい。」
「誰かに何かを頼んだとき
出来のよいものにしてほしい。」
そういったときに有効
であることを1つ感じた。
(あくまで私個人が
感じたことです。)
逆にこれを意識しなければ
「誰かといっしょに
何かを生み出そうとしても
食い違いが激しくなる。」
であったり
「誰かに何かを頼んだとき
予想しない、訳分からない
ものが出来上がる。」
こういった「失敗」が起きる
確率が高まると推測する。
一体何かというと
「なぜ、を共有すること」
例えば、今日あったことでは
「スーツを着ている写真を
集めてください。」
という指令が出た。
一応「はい。!」
と答えて、やってみる。
しかし、
「ちょっとふざけてるこの
写真も集めればよいのかな?」
「スポンサーボードとか
写真に含まれているけど
これも集めればよいのかな?」
というような疑問が生じる。
そこで「このスーツの写真って
スポンサーのjunさん用ですか?」
っと確認すると
「そうです。」
とおっしゃる。
そこでふと感じたのが
「スーツを着ている写真を
集めてください。」
という「何(What)」に加えて
「スポンサーのjun hashimotoさんの
ために」という「なぜ(Why)」を
最初から教えてほしいな。
そうしたら
いちいち迷わなくてもよいのに・・・
という切なる思い。。。
(単なるわがままかもしれませんが・・)
たまたま自分が「なぜ?」「なんで?」
を意識する人間だからかもしれない。
「何をやるのか」を意識する人
「なぜやるのか」を意識する人
「どのようにやるのか」を意識する人
「今すぐ!」を意識する人
それぞれいろんなタイプが
いるかと思うが、それぞれに
応じた対応をできる人間でありたい。
(※実は、本ブログもなるべく
そういったことを意識して
書いております
なぜ→なに→どのように→今すぐ
というような大まかな流れです。)
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